レポート

【レビュー】『パリはわれらのもの』

13_Paris nous appartient_1_main1957年、イタリアのネオレアリズムを代表する巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督は、現代のパリで暮らす人々の生活を描いた一連の作品をプロデュースしたいと発表する。これに呼応し、当時「カイエ・デュ・シネマ」誌に集っていた批評家たちが、後に彼らの長編処女作へと結びつく脚本をロッセリーニの元に送った。クロード・シャブロルの『美しきセルジュ』、エリック・ロメールの『獅子座』、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』、そしてリヴェットの『パリはわれらのもの』がそうした中に含まれていた。

13_Paris nous appartient_2_sub1ネオレアリズムとの血縁関係は、ヌーヴェル・ヴァーグに備わっていた性格の一つ、「現実主義」を明確に示している。都市に暮らす人々に向けられた等身大の視線がそこで共通する大きな特徴なのだ。だが、『パリはわれらのもの』に見られるのはそればかりではない。シェイクスピアの舞台劇『ペリクリーズ』を上演しようとする若者たちの群像劇は、彼らを惹きつけ虜にする正体不明の謎や秘密によって奇妙な歪みを見せていくからだ。前者を映画のロッセリーニ的側面と呼ぶならば、後者はフリッツ・ラング的側面と呼べるだろう。リヴェットがそのフィルモグラフィ全てを通じ追求していくこととなる映画のこの二つの原理、世界の二つの原理の衝突と共存が、長編処女作『パリはわれらのもの』の中で既に十全に機能していることを私たちは確かめることが出来る。

13_Paris nous appartient_3_sub2_sだが、彼らが脳内に宿すのは、一体どういう物語だろう。劇中、演出家ジェラールは自ら上演しようとする『ペリクリーズ』についてこう述べている。“それは、全てがまとまりを欠いたままバラバラ飛び散っていくような物語である”と。主人公の女学生アンヌはラングの『メトロポリス』を見に行くが、それもまた栄華を誇ったバビロンの街が破壊され、無数の小さな断片へと砕け散っていく様が語られる場面である。夢は砕けた。理想は潰えてしまった。グランドデザインに支えられた繁栄の時代は既に過去のものである。わたしたちは「その後の時代」を生きなければならない。

『パリはわれらのもの』を濃密に支配する「その後」とは、直接的には第二次世界大戦後の失望と憂鬱な空気を反映したものであっただろう。一見誇りと希望に満ちた若々しいこのタイトルは、実は詩人・思想家シャルル・ペギーの言葉「パリは誰のものでもない」から取られたものであり、ある苦さと共にある。そしてこの苦さは、現代世界を生きる私たちへとそのまま地続きでつながっているのだ。

(大寺 眞輔/映画批評・編集者)

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フランス映画祭2016では、今年1月に逝去したリヴェット監督の追悼企画として、新しく制作したデジタルリマスター版で本作を上映いたします。この貴重な機会にぜひご覧ください。

 

『パリはわれらのもの』 Paris nous appartient

監督:ジャック・リヴェット
出演:ベティ・シュナイダー、ジャニ・エスポジート、フランソワーズ•プレヴォ、ジャン=クロード・ブリアリ

1961年/フランス/フランス語/137分/DCP/スコープ/モノラル
※デジタル・リマスター版での上映

©DR/MK2

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