横浜フランス映画祭 2024 マスタークラス「海外から見る“日本”」
実施日:2024年3月23日(土)17:00~
ゲスト:エリーズ・ジラール(『日本のシドニー』監督)、高崎卓馬、柳井康治(いずれも『PERFECT DAYS』プロデューサー)
開催場所:横浜市立大学 みなとみらいサテライトキャンパス
 
マスタークラス「海外から見る”日本”」
毎年、横浜フランス映画祭の会期中に行われているマスタークラスは、横浜フランス映画祭の来日ゲストが登壇し、大学生に向けたセミナー形式のトークイベントを実施するプログラム。本年度第3回にして最終回となるマスタークラスのゲストには、今年の横浜フランス映画祭の特別アンバサダーに就任された役所広司が主演を務め、ドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダースがメガホンをとる日本映画『PERFECT DAYS』の高崎卓馬プロデューサーと柳井康治プロデューサーが、本映画祭の出品作『日本のシドニー』のエリーズ・ジラール監督とともに参加。海外の視線から日本を描くことについて多角的に話し合う機会となった。また客席には『日本のシドニー』に出演する俳優の伊原剛志の姿もあり、3人が話す事例を興味深い様子で聞いていた。
マスタークラス「海外から見る”日本”」
柳井康治(『PERFECT DAYS』プロデューサー)
くしくも柳井康治プロデューサーは、この日のプログラムを後援する公立大学法人 横浜市立大学の卒業生。「卒業したら、大学と関わることもないだろうと思っていたんですが、あれから23年くらいたって。自分が卒業した大学が関わっているイベントに呼んでもらうこととなり、うれしく思います」と笑顔。そして高崎プロデューサーも「僕もエリーズ・ジラール監督の『静かなふたり』という映画が好きで。エリーズさんが日本で撮影しているという話はなんとなく小耳に挟んでいましたし、そこに伊原さんが出ているというのも小耳に挟んでいたので。どんな話なのかなとずっと想像していました」とワクワクした様子を見せた。
 
そもそもジラール監督はなぜ日本を舞台に映画をつくろうとしたのだろうか。「わたしが日本という国を知ることができたのは11年前。2013年のことでした。はじめて日本に来たときから、この映画のアイデアはすでに生まれていたわけです。これほどまでに感動をもたらしてくれる国は今までなかったと言えます。そしてその美しい出会いから11年かかりました。長い道のりでしたが、ようやくこの映画をつくることができました。とても不思議なことですが、今の時代は日本に関する情報はたくさんあります。そしてわたしも古典的な作品、小津、成瀬、溝口の映画を通して日本を知っているつもりだった。でも実際に日本にやってくると独特な印象がある国だと思ったのです」。
 
マスタークラス「海外から見る”日本”」
高崎卓馬(『PERFECT DAYS』プロデューサー)
その言葉に高崎プロデューサーが「独特な印象って、具体的にどんなものだったんですか? なぜ日本だったのでしょうか?」と質問すると、ジラール監督は「ほかの国ではダメでした。わたしを引きつけたのは沈黙だったんです」とキッパリ。そこで最初に日本に来たときのことを振り返り、「最初に日本に来た時から不思議な空気があるなと思っていました。その後すぐに奈良に行き、大仏のあるお寺に行きました。わたしの目の前にはおよそ3000人くらいの人がいたわけですが、不思議なことにその3000人の音とビジュアルが一致しなかった。音がしないんです。それがわたしにとって驚きだったわけですが、突然音がし始めたので、そちらをパッと見たら10人くらいのフランス人がいたんです。やはり音を出すのは日本人ではなく、外国人だったわけですね(笑)。だからそういう意味でも、日本人の沈黙、静寂との関係に特別なものがあるなと思ったのです。それから建築や、寺院、建物自体の直線の美しさなども感動しました。伝統的な場所でありながら、モダンさがある。それが自然な形で共存しているのも珍しいなと思います。洋服をつくってる方(※柳井プロデューサーはユニクロを手掛けるファーストリテイリング取締役でもある)がいるから言うわけではありませんが、日本の洋服もとってもシンプルですけど、美しいですよね。ミニマリズムの中にある美しさを感じます」と日本への思いを一気に語り尽くした。
 
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エリーズ・ジラール(『日本のシドニー』監督)
『日本のシドニー』は、日本の出版社の招きによって来日したフランス人作家シドニー(イザベル・ユペール)が、編集者・溝口(伊原剛志)のアテンドで京都や奈良をめぐり、記者会見や読者との交流会に参加するうちに、次第に溝口の人柄に惹かれていくも、心の中では亡くなった夫の影を振り払えずにいて……というラブストーリー。この物語について、「私が当時、感じていたことに近いんですが、わたしの中で考えていたのが、フランスの女性が日本の美しさに埋没する。そしてその美しい日本の中で、彼女の精神状態まで影響される。それはまさにわたしが当時の日本で感じていたことでした」というジラール監督。さらに感動したこととして、「日本の方の礼儀正しさ。とてもデリケートで、とても優しく、そして控えめな雰囲気。それをわたしは、溝口とシドニーとの間に生まれている穏やかな関係性としてイメージしたわけです」と付け加えた。
 
一方のジラール監督も「ヴィム・ヴェンダース監督とはどうやって出会ったのですか?」と興味津々な様子。それに対して柳井プロデューサーは「特殊な出会いなので、話すと長くなるのですが……」と言いよどみながらも、「最初は東京パラリンピックに興味があったので、2020年に東京でやることになって盛り上がるといいなと思ったのが着想のはじまりでした。パラリンピアの方や、障がいを持っている方が何か喜ぶことが日本で起きていると素敵だなと思ったのです。日本っていいなと思ってもらえるように、何か日本が世界に誇れるものを表現の対象にできないかと思いました。その対象は障がいを持たれた方だけでなく、誰もが関われるものがいいなと思って、いろいろと探していく中でトイレにたどり着きました。ハイテクだし、それを著名な方にデザインしていただけたらきれいに使ってもらえるのではないかと思ったのです。ただ実際には、それでも汚れてしまうという現実があって。その現実に直面したときに、清掃の大切さを伝えられたらと思い、高崎さんに相談したところ、きれいな映像作品をつくるのがいいのではないかと言ってもらって。それは何もトイレをきれいに使いましょうとストレートに言うわけでなくても、きちんと伝わるやり方があるのではないかと。そしてそういうことができる方は誰なのかと言ったときに、たまたまなんですが、2人ともヴェンダース監督が好きだった。今でこそ、ヴェンダース監督は日本文化への理解も深いし、建築に対する愛情も深い方だったので最適任だったと言えるのですが、当時はそこまで考えていなくて。美しいもの、不思議なものを撮れる監督ということで、お声がけしたということです」と自身が手掛けた<TOKYO TOILET PROJECT>の成り立ちについて語った。
 
それを興味深い様子で聞いていたジラール監督が「ヴェンダース監督が入ってどのようにロケハンやシナリオハンティングを行ったのでしょうか?」と尋ねると、「実際にヴェンダース監督がやると言っていただいたのですが、実際の場所を見てみないとどうなるか保証できないから、まずは下見をしたいと言っていただいたので、実際に来日していただいて、シナリオハンティングから始めることとなりました」と返答した柳井プロデューサー。そこからは実際にトイレ清掃員はどのような生活をしているのか、年収はいくらか、どのあたりに暮らしているのか、趣味は何か、寝る前に何をするのか、といったトイレ清掃員についての概要を根掘り葉掘り質問された後に、実際に押上や浅草周辺エリアをみてまわることになったという。「フィクションの存在である、これからつくる人物について歩きながら探すということですね。ヴェンダース監督は、日本人はきっとこうだろうというイメージでものをつくるのではなく、そこにある対象にリスペクトを持って、観察するようにして見たものから選び取るというやり方をしていたのです。だから自分を表現するのではなく、すごく慎重に対象に近づき対処するというアプローチの仕方でした」と振り返る高崎プロデューサー。そしてさまざまな対話を繰り返す中で、もののあわれという美学を体現するものとして「木漏れ日」の話題となったという。木の葉が揺れて、光の踊りがうつくしいと感じること、木漏れ日というのは日本語にしかない、という話をしたところ、そこにヴェンダース監督が惹かれたことにより、それを骨子にシナリオがつくられることになった。
 
さらにジラール監督は、『PERFECT DAYS』と『日本のシドニー』に共通するカットを発見したのだという。「『PERFECT DAYS』を観た時にハッとしました。それは朝日が昇る時の高速道路のカットです。『日本のシドニー』の編集を担当した人が電話をかけてきて、「エリーズ、『PERFECT DAYS』に同じカットがあるわよ!」と言ってきたんです。それは驚くべき事ですが、わたしの西洋人としての視点と、おそらくヴェンダースの西洋人としての視点がクロスしたのかもしれないですね。もちろん映画の内容はまったく違うものですけどね」と笑顔で付け加えた。
 
それだけではなく、両者にはさらなる共通点があったようだ。「わたしは想像力豊かな女の子で、6歳の時から書き続けていました。夢見る女の子だったんですね。目の前に見えているものだけでなく、いろんな想像が頭の中に広がっているので、それを必要としていたんです。だから毎日、日記をつけていたんです。最初の頃はみんなもそんな風に思ってるんだろうなと思っていたんですが、ずいぶん後になってから、みんなは書いて表現する必要がないんだと気付いたんです」と振り返ったジラール監督だが、そんな自分のために書いていた物語を“映画”という表現手段に昇華させることに気付いたのだという。「映画をつくるということは本当に大変なことなんです。でもわたしにはそれしかないんです。だってわたしが好きなことは、書くことであり、映画をつくることなんですから。それがどれだけ大変なことであっても、映画をつくるということはわたしにとってのしあわせなんです」。
 
そしてその言葉を聞いた高崎プロデューサーが「僕もすごく似ています」と語ると、「僕は子どもの頃は転校ばかりしていたので、コミュニティがない子どもだったんです。だからなんとなく自分と世の中の接点があまりなくて、ノートにいろんなことを書いていました。星新一さんという小説家が、とても短いショートショートという小説を書いていて。それがすごく好きだったので、自分でも書いてみたいと思って、誰に見せるわけでもなく、いろいろとノートに書きためていたんです。そしてその時にすごく好きな子ができて、(ノートに書いてあること)イコール自分だから、急に持っていって読んでと渡したら、開口一番気持ち悪いと言われて。自分が吐き出したものを人にこすりつけると気持ち悪いと思うんだ、というのがすごいショックでした。それが自分が吐き出したものを、人がその通りに受け取らないという最初の体験だったんです」と過去の苦い体験を告白。しかし今回の『PERFECT DAYS』の脚本をつくるにあたり、その過去に書きためていたことや、それまでに考えてきたこと、やりたかったことなどがあふれるように出てきたのだという。「自分の中に溜まっている小さなものがダーッと集まってきて。つながると思っていなかったものが全部、(今回の企画や、ヴェンダース監督など)いろいろな出会いからつながってきて。それは自分で無理やり形にしようとしていたわけではなく、自分がつくりたいと思っていたことが呼ばれてきた感じでした。今回、『PERFECT DAYS』をつくるにあたり、このためにあの人と会ったのかとか、このためにあの時は生きなかったんだとか。そういうことがいっぱいあったんだなと思った」としみじみと語った。
 
マスタークラス「海外から見る”日本”」
そんな思いを受け取った観客から「書くことが楽しいというおふたりですが、しんどい時ってありますか?」と質問も。それにはジラール監督も「好きで書くのと、仕事として書くのは別なのでつらいですよね。締め切りがあるのはかなりの苦痛というか、ストレスがあります。シナリオを書かなきゃとデスクにつくと、逃げたくなるくらいつらいんです。もちろん書き始めたらハッピーなんですけど、そこにつくまでに努力がいるんですね。さいわいわたしには一緒に暮らしている人が、書きなさいと背中を押してくれるというのがあるんですけどね」と語ると、「今聞いていて、まったく一緒なんで驚きました」と語る高崎プロデューサーが「僕も締め切りがないと駄目なタイプで。いつまでに出せと怒ってくれる人がいないと駄目なタイプです。なんでなんですかね……。こんなに好きなのに、なんでやらないんですかね。つらいんですよね。あんなに大好きと言ってたのに、なんでですかね……」と正直な思いをどこかボヤくように吐露すると、会場からはクスクス笑いが。さらにその理由として「たぶん自分が頭に思い描いているイメージはすごく素敵なものとして思い描いているのに、実際に自分の書いているものは、そのイメージがどんどん失われている感覚があるのかも。だから先延ばしにしてしまうのかも」と分析する高崎プロデューサーに、ジラール監督も笑顔でその話を聞いていた。
 
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