ロデオ』上映後Q&Aレポート
上映日:2022年12月4日(日)11:50~
ゲスト:ローラ・キヴォロン(監督・脚本)、アントニア・ビュレジ(出演・脚本)
MC:佐藤久理子
通訳:人見裕子
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kino cinema横浜みなとみらいでの『ロデオ』上映後、ローラ・キヴォロン監督と、本作出演者であり、キヴォロン監督とともに脚本も担当しているアントニア・ビュレジさんを迎えたQ&Aが行われた。本年度カンヌ国際映画祭《ある視点部門》審査員特別賞を受賞した本作は、社会の片隅で卑屈な策略を巡らしながら生きてきた若い女性ジュリアが、ヘルメットを装着せず全速力で走り、アクロバティックな技を繰り出すクロスビトゥームに興じるバイカーたちと出会い、行動をともにする中で見いだす光と影をエネルギッシュに描き出す。
 
キヴォロン監督が、本作のモチーフとなったクロスビトゥームとの出会ったのは、彼女が映画学校に通っていた2015年のことだったという。「当時、クロスビトゥームというモータースポーツはあまり知られていなかったんですが、ちょうどその頃に若いバイカーたちがアクロバティックなモトクロスに興じているビデオを見る機会があって。それで彼らのことを調べて、会いに行ったんです。彼らは街中ではなく、街から離れた場所にある道路でやっていたんですが、見た途端に恋に落ちたんです。そこにはスペクタクルな豪快さだけでなく、ポエティックな趣きがあった」というキヴォロン監督は、「この映画が実現できたのは、彼らと7年くらいの付き合いがあったから。彼らの短編を撮ったりする中で、友情を築いたわけです」と明かす。
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本作は、私生活でもパートナーだというアントニアさんと共同で脚本を担当し、公私にわたるコラボレーションとなった。「わたしはバイカーと7年近くかかわってきたので、アントニアに参加してもらうのは自然なことでした。やはり初の長編であり、野心的な作品でもあるので、産みの苦しみがあったんです。登場人物の無意識の感情をどういう風に言語化するのか、それは本当に難しいことでした。でもアントニアが、脚本に落とし込むため、そのロジックを見つける役割を果たしてくれましたし、女優としても参加してくれました。やはり脚本というのは暗い闇の中を歩くような感覚なので、アントニアはまるで灯台のような存在でしたね」とキヴォロン監督が語れば、アントニアさんも「わたし自身は女優という職業についているわけですが、コラボレーションということには興味がありました。やはりローラとは生活を共にしているわけですから、当然ながら日常的にこの映画の話題が出てくるわけです。そうした会話を繰り返すうちに、いつしか共同脚本という、職業的なコラボに変わったわけです」とその経緯を説明。そして脚本だけでなく演出の面でも、「主人公のジュリアを演じたジュリー・ルドルーはそれまで演技をしたことがなかったんですが、彼女に身体的な身ぶりであったり、立ち方、演劇のエクササイズなど、わたしが女優として知っていることを伝授したんですが、ジュリーはあっという間に吸収した。そういう中で彼女とも信頼が生まれたということですね」と振り返る。
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本作の主人公となるジュリアは、常に孤立無援の中、なんとか生き抜いていこうとする野生的なたくましさが印象的だが、それと同時にどこかもろい部分も兼ね備えている。そうしたジュリアのキャラクター造形について「わたしとしては、ジュリーとの出会いは奇跡だった。いろいろなものが混じり合って、いろいろなものを生み出す錬金術のようね」と語るキヴォロン監督。「ジュリーとはたくさんの話をしましたね。自分たちの家族の話とか、10代の頃の話、ママの話とか、お互いのことを話し合った。脚本では何年もかけて、紙の上でジュリアという人物像を形成してたんですが、抽象的なところもあった。でもそこで彼女と話をしたことで、その人物像が肉付けされていくような感覚になりました。彼女と出会ってから、夢が現実になっていくということを実感したんです」。

その上で「ジュリーと会って心動かされたのは、彼女自身も孤独だったということ。だからこそ苦しみもあるが、その苦しみを回避するために怒りという感情を持っていた人だった」というキヴォロン監督だが、「ただこれを不幸と言ってはいけないですが、わたしたちが彼女に会った時は、そうした怒りの時代は過ぎていて。その怒りを静める術を会得していたんです。だからわたしたちは、彼女にもう一度その怒りの感情を思い出してもらわなければならなかった。そういう意味ではジュリアとジュリーはかけ離れた存在だといえるんです」と説明。
 
さらに「ジュリアの存在に、ジェンダーを越えたものがあるように感じた」という観客の指摘には「ジュリアという人物像の中には彼女にとっての神話がある。そしてクロスビトゥームの神話というものがあり、そしてわたし自身の神話というものを融合させたものなんです。わたし自身は男性でもなければ、女性でもないという自覚がある。つまりジェンダーというものをすごく自由に、まるで水のように流動的にしてきたからこそ、わたしも水のようにいろんな障がいを回避できたんだと思うんです。ジュリーの話を聞く中で、自分もそうだなというように、彼女が気付かせてくれたということですよね」と付け加えた。
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